「と或る暴君の一言」
2006年12月8日 時の小説(旧)私はあまり良い教育者には恵まれてきませんでした。
親はこちらが不安になるぐらい私を叱らない人達でしたし、
逆に教師は苛立ちを単純な怒りとしてぶつけてくる人ばかりでした。
もし人間について、人生について教えてくれる人がいたら、
私は今とどう違っていただろうと時々思うことがあります。
でも私は、これで良かったのかもしれないとも思っています。
なぜなら今、彼らを思い出しても、彼らは間違っていたと考える事ができるからです。
今日はその中でも最悪の教育者が発した一言について書きます。
彼は私が中学二年の時の担任でした。
当時もう「体罰」という言葉が流行になり始めていた時でしたが、
彼は教育に暴力は絶対欠かせぬものと、豪語するほど固く信じている人でした。
女子生徒を教壇の前で平手打ちしたり、男子生徒を土足で何度も踏みつけたり、
生徒以上に他の教師にとって悩みの種であるほど常軌を逸していた教師でした。
そういう私も当時、あまり良い生徒とは言えませんでしたが、
彼が担任だった一年だけは決して怒られる事がないよう、必死に心がけていました。
おそらく私を受け持った教師の中で、
彼だけが今も私を優等生だったと誤認しているはずです。
それは3学期の期末テスト、学年最後のテストの前日でした。
彼は帰りのホームルームの時、いつもと同じように教壇の上で、
まるで多くの家来を従えた君主であるかごとく、腕を組みながらこう言ったのです。
「俺は体育教師やから、皆に勉強についてアドバイスできる事は何もない。
でも昔、他人から聞いた話を一つ教える。
たとえばテストで、AかBかを選ぶ選択問題が出たとする。
そんで最初に問題を見たとき“答えはAや”と思ったとする。
でもよーく考えると“やっぱりBかな”と思うことがあるやろ?
そういう時は大体Aが正しいらしいんや。
まあ直感っていうんかな・・・困った時があったら、参考にしてくれや。」
結局、彼に関する記憶は「純粋な狂気」とその「重宝な一言」だけが残ったのです。
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