【時の音楽論 三、スピッツ】
2007年2月1日 時の芸術鑑賞(Skate)「頂点で燃え尽きた渇望」
スピッツほど売れた途端、駄目になったアーティストもいないと思います。
と書くと、随分と否定的な書き出しだと思われるかもしれませんが、
私は学生の頃、彼らの書いた全ての歌詞を記憶するくらい彼らの歌を愛していました。
心を静かに打つ旋律、妖精に書かれたような詞、その両者を最高限波及させる美声。
彼らはデビュー当時から異彩ともいえる輝きを放っていましたが、
彼らがその存在を世に広く知られる事はなかなか叶いませんでした。
なぜなら世間に認められるには「良い」だけでは足りず、
どうしても人目を引くための「ハデさ」が必要だったからです。
彼らはいつかのインタビューで、
「ヒットを出す事よりも自分達の歌を作りたい」と言っていましたが、
私は本当は嘘だと思っています。
なぜならまだ駆け出しだった頃の彼らの歌からは、
「もっと知ってほしい、もっとたくさんの人たちに聞いてもらいたい」という、
渇きから来るような躍動感が大いに感じられたからです。
そして彼らの歌手人生において最大の転機が訪れます。
11thシングル「ロビンソン」がミリオンセラーとなり、一躍世間から脚光を浴びたのです。
しかし彼らの歌手生命はここから急に下り坂に入ります。
私は13thシングル「チェリー」を聞いた時、彼らは終わるかもしれないと思いました。
今も名作として慕われる、本当に素晴らしい曲なのですが、
その旋律からはいつしか感じられたあの「渇望」はすっかりと消えており、
まるで頂点にいる時のような「安堵」の音色に聞こえたからです。
音は音符以外では形にできません。
作る時もただ頭の中のインスピレーションで組み立てなくてはなりません。
それゆえ思想や環境の変化によって簡単に壊れてしまう。
もしかしたら作曲家の命は、画家や小説家よりずっと短いのかもしれません。
彼らは頂点に至るまで階段を昇るかのような着実なステップを踏んでいました。
もし「ロビンソン」が売れていなかったら?あれ以上の歌を創っていたのでしょうか。
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