一,「孤炎」
夏の暑さが尋常の域を脱し始めている。
ここ夙川のほとりでも、青く染まった桜並木の間を大量のセミ達が飛び交い、
何分かに一度、一匹が死に落ちてくるという仰々しい光景を構えている。
この星は間違いなく、今、終わりに向かっているのだ。
アパートへと続く川沿いの砂道に男性が立ち始めたのは先週の事である。
ほとりに建つ新しい住居の木材を運ぶ車を誘導するために、
そのためだけに半日間も一人立ちっぱなしなのだ。
講義を早々に切り上げてタイマー冷房を効かせた部屋に、
一刻も早く帰ろうとする私から見れば信じがたい光景だった。
「この世で最も辛い職は」と問われれば、迷う事なく私はこの男性の職をあげる。
誰もいない砂道を一人悠々と通っていた頃を懐かしみながら、
「ご苦労様です」と男性の横を通るたびに挨拶を掛けるはめになってしまった。
最も私には発する権利もない台詞だが、
日に何度も会う時は言葉を変えて「暑いですね」と笑顔混じりに言うようになる。
そして自ずと顔なじみになり、男性はそれとなく私を引き止めるようになった。
私からすれば「暑い」以外に交わせる話題など一つもないのだが、
逃げる私を男性は必死に食い止め、どうにかして他愛のない話を引き延ばそうとする。
その時悟った、彼にとって最も辛い事は、暑い事ではなく寂しい事なのだと。
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