「イースト・メモライズン」

脳の衰退を覚えた時期があった。
以前と同じ要領で記憶のタンスを開こうとしても、
開かないどころかタンスの位置すら思い出せなくなっていた。
外界との交信を完全に絶ち、
人と会話することなく屋内活動に没頭していた私は思わぬ落とし穴にはまった。
 
高をくくっていた。
人は一人では生きていけないとはこういう事なのだ。
しょせん人は人ではなく、人間なのだと痛感した。
脳の腐敗におののいた私はすぐにある男に連絡した。
この部屋と外界とを繋ぐ唯一の男である。



「イースト・ボーイ」


高倉と会う。
美穂を紹介した男である。
彼の性格は同じ苗字の著名な俳優を百八十度回転させたものと考えてよい。
大手企業に勤めるこの男は東京に広いコネクションを持ち、
なかなか部屋を出ない私を気の毒に思って様々な誘いを掛けてくる。
かつて私が彼に友人の仲介をした、その恩返しという事になるのかもしれない。

高校に入ってまず感じた事は、
各中学別にこれほどまで人格の傾向が分かれるものかという事だった。
幼稚な中学、落ち着いた中学、保守的な中学、奔放な中学。
その点で言うと私の出た中学は最も落ち着いた中学であり、
高倉の出た中学は最も幼稚な中学だった。
だが彼は例外だった、三年の夏に東京から転校してきていたからだ。
その論理から彼の中学時代の孤独を指摘すると、彼は感極まって同調した。

そうなるとあの時、麻雀を通じて中学の友人を紹介していた頃、
私が自ら積み重ねた恩はあと何度かの誘いで消えてしまう事になる。



「イースト・シーン」

高倉の誘いで六本木の会合に参加する。
会合と言えど分かりやすく言えばただの合コンである。
大学時代に数度参加し、あまりの気まずさに恐怖症になったあれだ。
だが大学時代に進行のいろはを習得した高倉の全面フォローの元という、
有難い条件の下で参加する事になった。

メーカー勤務、保険会社勤務、アパレル勤務、
どの業界グループと面を会わせても共通していた事は、
フリーターと言った瞬間、目が一瞬泳ぐという反応だった。
だが打って変わって反応が良かったのが女子大生の一団である。
暇を持て余す彼女達にとっては、土日だけの社会人より利便性があったかもしれない。

「会合」の際にまず判断しなければならない事柄は、
軽薄にも短期的な相手を求めて参加している者か。
無謀にも長期的な相手を求めて参加している者かだ。
そのどちらでもこの眼には哀れに映ったが、
そのどちらでもなかったのが美穂だった。

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