「イースト・シュライン」

講義を終えた美穂と赤坂で食事する。
和菓子に雑貨、散々ねだられた末に帰りの駅へ向かう途中、
日枝神社の前を通りかかったところで突然、美穂が参拝をしたいと言い出した。
最近、あまりにも不運な事が立て続けに起こるので、
ちょっとでも食い止めたいという彼女の理由に頷いて、本堂へ向かう。
狭い参道には様々な店、企業、ホテルなどの名称が書かれた旗が並んでいた。
神を祭るという事も、あくまでもビジネスなのだろうかと思い段を上る。
 
立派な神社だった。
神などというものは決して存在しないと信じている者からすれば、
ため息が出るくらい立派な神社だった。
本堂の前に着き、美穂と並んで手をあわせる。
こうして神を敬う気持ちなど全くなしに、
自分の幸福だけをただ祈りに来た人間はどれだけいたのだろうと思い手を合わせる。
帰り際、美穂がおみくじを引こうと言い出す。
まるで神々に見張られた中で馬券を購入するような気分だ。
 
「幸運:上昇一途  病気:なおる  願望:早く叶う  商売:成功する」
 
大吉と書かれたみくじには、ただ未来を祝福する言葉が延々と並んでいた。
まるでこの先、何の努力をせずとも幸福は約束されていると書かれているように。


「イースト・ガール」

美穂が部屋に来る。
今日もまた、宇宙船に乗り込んだような不思議そうな顔をしている。
一週間、健全なキャンパスライフを送ってきた彼女からすれば、
一週間、全く変化していないこの部屋の光景が珍しいのだろう。
 
彼女は毎週土日にやって来て、
毎週月曜にこの部屋に住む変人の観察記録を友人たちに発表しているらしい。
普段、足場がなくなるまで決して掃除をしないわりに、
いざ部屋を綺麗にすると一つの糸くずも見逃さなくなる私が面白いのだという。
今まで散々毛嫌いされてきた私の細かな性質を面白いのだという。
 
時々、何の悪気もなく手痛い一言を浴びせてくる時もあるが、
何の悪気もないふりをして浴びせてくる人間よりよほどましである。
なぜならその時、その場所に悪魔はいないのだから。


「イースト・ヘイト」

 
薄暗い闇の中で目を覚ます。
隣の部屋から、韓国語を話す女の声が聞こえてくる。
私の眠りは、あの声によって妨げられたのだろうか。
 
先日、隣に越してきた一家の妻である。
入居してきた当初から窓を開け放ち、ありとあらゆる騒音を昼夜提供している。
今日も夫と請求書の支払いに関してもめているのだ。
 
一度だけ、この女と廊下ですれ違った事がある。
何とみすぼらしい女かと思った。
あたかもこの世にありうる希望の全てを捨て去ったかのような風貌をしている。
こんな女を抱いている男がいるというのも信じられない。
全てを捨てたこの女と、全てを欲するあの女とでは、どちらが醜いと言えるだろう。
いや、実際はこの女の心も、欲望にまみれたまま生きているのだ。


「イースト・プロローグ」

時々、ここは世界のゴミ箱ではないかと思う。
昼夜うごめく工場の群、欲望に浸り溺れる若者達、生気の無い大人達の顔。
田舎の過疎地帯になら、まだ老人と田園に作られた静寂という名の救いがあるだろう。
だがこの町に救いは一つもない。
ただ時が止まったままの廃墟の町。
自力で抜け出すまで、救われる事など決してない。
そう、ここは世界のゴミ箱なのだ。
 
東京に来て、もう二年の月日が流れる。
私の静かなる歩みなど、気を許せばあっという間にこの闇に飲まれてしまいそうだが、
それでも記そうと思う。
この二年、堕落と快楽の記憶。


来週より時の小説・第二弾「イーストロード」の連載を開始します。
この小説は連載回数を定めずに延々と連載されていくものです。
なお主人公は以前連載した「夙川の一年」と同じ彼、
東京を舞台として、主人公が夙川を去った直後から物語は始まります。
連載は不定期ですが、50回を目標に頑張っていきたいと思います。


四,「孤郷」

 
土地を去る者、残る者。
両者の明暗は大きく分かれる。
去る者は自らを迎える新たな土地、生活、仲間に心躍らせるが、
残る者に残されるのは廃れた土地、寂しい生活、去った仲間、得るものなど一つもない。
去る事よりも、その地に残る事の方がよほどの勇気が必要とされる事だ。
 
午前六時、まだ日の顔かすかに覗く時刻に、一面の桜並木の下に立っている。
この夙川が一年で最も多くの観光客を迎える季節、春が来た。
そして私は今日、この地を去る。
夙川の桜が一日に一度「私だけのもの」になる時が、日の出もままならぬこの時間だ。
押し寄せる花見客たちは、この朝の冷気と静寂に彩られた美しい桜を知らない。
彼らは喧騒と相槌に汚された桜しか知らない。
 
ほとりを見ると、新しい家が建っている。
木材の誘導をしていた男性はいつの間にか居なくなっていた。
あれだけ疎ましく思っていたのに、居なくなった日になぜか寂しく感じた事を覚えている。
ポケットに手を入れると、三万円が入っている。
昨日、理花が東京に行く餞別としてくれたものだ。
「焼け石に水だけど、今まで色々買ってもらったから」と彼女は笑っていた。
頼む。
僕が去る事で君が少しでも傷つくなら、その傷をせめてもの優しさに変えてほしい。
心の中で静かに祈る。
 
全ての荷物を運び出された部屋は、初めてここに来た当時の状態に戻った。
あの時、神戸から逃れる思いでここへ来た時、この地が優しく迎えてくれた事を思い出す。
そしてこの一年、川の静かな流れに癒されたこの一年、私は心の底から幸福だった。
 
何もなくなった部屋に呼び鈴が響く。
鍵の受け取り人が来たのかと扉を開けると、立っていたのは瞳だった。
残酷な女だと思った。
この八ヶ月、あれだけ互いの表情と心情から目を背け続けてきたというのに、
それを壊すための来訪だと思った。
だが彼女の目的は違った、駅の改札を通る前から瞳はすでに泣いていた。
残酷な女だと思った。
そして、電車に乗り込む、その何倍も残酷な男。
 
街の景色が流れていく。
鉄橋に差し掛かり、通り過ぎる電車の中から最後に夙川を見た時、
去る者にも失うものが一つだけあることに気づいた。
故郷である。
この地で私は独りだったが、この地を去る事を「寂しい」と感じている自分がいる。
人はきっと、この感覚を故郷と呼ぶのだ。
 
いつの日か必ず私はこの地に帰ってくる。
その時はきっと、一人ではなく誰かと。
 


三,「孤情」

例年ほど、刺すような冷気は感じない。
徐々に冬の誇る鋭さが和らいでいる事に気づく。
冬が力を弱め、夏が力を強め、この夙川も最後は熱だけになってしまうのだろうか。
上流から吹きつける風を凌ぎ、誕生日を迎えた理花の元へと向かう。
 
贈り物をした時に理花が見せる平然な態度はいつも私の心に衝撃を与える。
もちろん彼女は心から感激した笑顔を見せるが、
それが完璧な演技である事を私は高校時代からの付き合いで知っている。
一年前、彼女と暮らしていた時もそうだった。
週末になるといつも大勢の男たちが飲み会に出る理花を出迎えに来たが、
彼女はそれが特別な事と知っていても、恵まれた事だとは思っていなかった。
理花の美しさは、いつかの優しかった彼女を何処かへ消し去ってしまった。
 
東京に行くという事は、私にとって理花の元を離れるという意味合いが強い。
私が去れば、彼女が本当は孤独である事を知る者は誰もいなくなってしまう。
だが同時にそれは、彼女の孤独が放つ呪縛から私がようやく逃れる事でもある。
そしてそれは、いつしか彼女が優しさを取り戻す日を、私があきらめる時なのだ。

 
ニ,「孤葉」

 
木々の葉々が全て散り去り、夙川のほとりは一面の落ち葉に覆われる。
セミの死骸と落ち葉の残骸が映す「この世の終わり」を踏み締めながら、
ただ終わる日々への虚しさを部屋へと続くこの砂道の上で噛み締める。
 
乾いた落ち葉の絨毯は呼び鈴と変わらぬ役目を果たす。
人が来ればその砕ける音ですぐに分かるのだ。
そう、今日は瞳が来る日だ。
 
私の部屋は別段狭いわけではないが、
なぜか私以外の人間を拒絶しているようだとよく言われる。
汚れた絨毯、テレビの向き、迫り来らんと立ち並ぶ家具と壁。
大きな座椅子を提供しているにも関わらず「帰れと言われている気がする」らしい。
瞳とは三ヶ月前に知り合い、その後すぐに私は東京に行くことが決まっていた。
彼女は「寂しくなるね」と一度言ったきり、二人の間では話題にすら上らなくなった。
彼女の優しさがそうさせたのか、この冷たい部屋がそうさせたのか、
ただ言っても無駄だと思われたか、もしくはその全てか。
 
この季節が終わる頃には僕らの恋も終わるだろう。
落ち葉と共に雨に流され川の何処かへ消えてゆく。
後には何も残らない。


一,「孤炎」

 
夏の暑さが尋常の域を脱し始めている。
ここ夙川のほとりでも、青く染まった桜並木の間を大量のセミ達が飛び交い、
何分かに一度、一匹が死に落ちてくるという仰々しい光景を構えている。
この星は間違いなく、今、終わりに向かっているのだ。
 
アパートへと続く川沿いの砂道に男性が立ち始めたのは先週の事である。
ほとりに建つ新しい住居の木材を運ぶ車を誘導するために、
そのためだけに半日間も一人立ちっぱなしなのだ。
講義を早々に切り上げてタイマー冷房を効かせた部屋に、
一刻も早く帰ろうとする私から見れば信じがたい光景だった。
「この世で最も辛い職は」と問われれば、迷う事なく私はこの男性の職をあげる。
 
誰もいない砂道を一人悠々と通っていた頃を懐かしみながら、
「ご苦労様です」と男性の横を通るたびに挨拶を掛けるはめになってしまった。
最も私には発する権利もない台詞だが、
日に何度も会う時は言葉を変えて「暑いですね」と笑顔混じりに言うようになる。
そして自ずと顔なじみになり、男性はそれとなく私を引き止めるようになった。
私からすれば「暑い」以外に交わせる話題など一つもないのだが、
逃げる私を男性は必死に食い止め、どうにかして他愛のない話を引き延ばそうとする。
その時悟った、彼にとって最も辛い事は、暑い事ではなく寂しい事なのだと。

 
私はあまり良い教育者には恵まれてきませんでした。
親はこちらが不安になるぐらい私を叱らない人達でしたし、
逆に教師は苛立ちを単純な怒りとしてぶつけてくる人ばかりでした。
もし人間について、人生について教えてくれる人がいたら、
私は今とどう違っていただろうと時々思うことがあります。
でも私は、これで良かったのかもしれないとも思っています。
なぜなら今、彼らを思い出しても、彼らは間違っていたと考える事ができるからです。
今日はその中でも最悪の教育者が発した一言について書きます。
 
彼は私が中学二年の時の担任でした。
当時もう「体罰」という言葉が流行になり始めていた時でしたが、
彼は教育に暴力は絶対欠かせぬものと、豪語するほど固く信じている人でした。
女子生徒を教壇の前で平手打ちしたり、男子生徒を土足で何度も踏みつけたり、
生徒以上に他の教師にとって悩みの種であるほど常軌を逸していた教師でした。
そういう私も当時、あまり良い生徒とは言えませんでしたが、
彼が担任だった一年だけは決して怒られる事がないよう、必死に心がけていました。
おそらく私を受け持った教師の中で、
彼だけが今も私を優等生だったと誤認しているはずです。
 
それは3学期の期末テスト、学年最後のテストの前日でした。
彼は帰りのホームルームの時、いつもと同じように教壇の上で、
まるで多くの家来を従えた君主であるかごとく、腕を組みながらこう言ったのです。
 
 
「俺は体育教師やから、皆に勉強についてアドバイスできる事は何もない。
でも昔、他人から聞いた話を一つ教える。
たとえばテストで、AかBかを選ぶ選択問題が出たとする。
そんで最初に問題を見たとき“答えはAや”と思ったとする。
でもよーく考えると“やっぱりBかな”と思うことがあるやろ?
そういう時は大体Aが正しいらしいんや。
まあ直感っていうんかな・・・困った時があったら、参考にしてくれや。」
 

結局、彼に関する記憶は「純粋な狂気」とその「重宝な一言」だけが残ったのです。

 

1 2

 

この日記について

日記内を検索